5月18日(土)市民集会・デモ&パレードのご報告
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5月18日(土)市民集会・デモ&パレードのご報告
5.18市民集会・デモ&パレード報告書
今国会で、実効性のある「子どもの貧困対策法」制定を!
326万人の貧困世帯の子どもたちの未来に希望を!
貧困の連鎖に終止符を!
国会の会期末がせまる2013年5月18日、あしなが育英会(玉井義臣会長)、遺児と母親の全国大会(緑川冬樹実行委員長)、「なくそう!子どもの貧困」全国ネットワーク(湯澤直美・平湯真人・三輪ほう子共同代表)の主催で、実効性のある「子どもの貧困対策法」制定を訴える市民集会を東京・代々木公園で開催しました。北海道から沖縄まで全国各地から遺児高校生・大学生、生活に困難を抱える若者、お母さん・お父さん方、支援者など約500人が参加しました。その後、渋谷・表参道・明治神宮前でデモ&パレードを実施し、多くの方々にその必要性を訴えました。
先週5月24日(金)には、野党と与党からそれぞれ法案が提出され、今週5月29日・31日には、衆議院厚生労働委員会で審議が始まる予定です。真に実効性のある子どもの貧困対策法制定に向けて、たいへん重要な局面を迎えております。
集会では、当事者からの訴えとして、あしなが育英会高校奨学生の藤井あずささん(岐阜・高3)が「教育を専門的に学びたいが、いまの収入では大学に行くことができません。一人でも多くの子どもが夢を追いかけられる環境をつくってください」と訴えました。続いて、首都圏の定時制高校に通う男子生徒(4年生)が定時制高校に通う子どもたちの深刻な経済状況の実態を話し、学ぶ権利の保障を訴えました。そして北海道にお住まいの遺児の母親、山本千賀子さんと子どものころに児童養護施設で生活した徳光涼子さんがご自身の体験を語り、どのような家庭の子どもも平等に安心・安全に生活ができる社会の実現を訴えました。
緑川冬樹・全国大会実行委員長と湯澤直美・ネットワーク共同代表とが主催者を代表して発言し、①法律もしくは大綱などに貧困率削減の数値目標を盛り込むこと、②対策計画づくりの会議のメンバーとして当事者やその支援者を含むこと、などの要望を述べました。
また、来賓として、大阪から駆けつけた故山本孝史・参議院議員夫人の山本ゆきさんは、山本議員の遺影を持って登壇し、「山本孝史がいのちをかけて成立させた『がん対策基本法』と『自殺対策基本法』のように『子どもの貧困対策法』もこの国会でなんとしても成立を」と呼びかけました。
集会には各党を代表して自民党=薗浦健太郎・衆議院議員、公明党=高木美智代・衆議院議員、民主党=山井和則・衆議院議員、日本維新の会=河野正美・衆議院議員、みんなの党=川田龍平・参議院議員、日本共産党=田村智子・参議院議員、生活の党=小宮山泰子・衆議院議員、社会民主党=福島みずほ党首・参議院議員が参加し、さらに下村博文・文部科学大臣も駆けつけ、全員が超党派で実効性ある法律の今国会成立を約束しました。
集会後には、約400人がデモ&パレードに参加。代々木公園から公園通り、渋谷駅前のスクランブル交差点を通過し、青山通り、表参道から表参道ヒルズ前を通り代々木公園に戻る3キロを元気な声でシュプレヒコール。土曜日の繁華街にあふれる多くの市民にアピールしました。
新聞社やテレビ局など16社40人が取材し、NHKニュースや各紙が全国ニュースとして広く報道しました。
■当事者の訴え
藤井あずささん(あしなが育英会高校奨学生・高校3年生、岐阜県在住)
私は岐阜の高校に通っています。今年は三年生で最後の高校生活を送っています。私の家族は、祖母、父、母、兄、私、妹の6人です。その家族を今は母が一人で養ってくれています。私が5歳のころ、兄からおたふく風邪をもらい寝込んでしまったことがあります。その時に父が付きっきりで看病をしてくれましたが、今度は父がおたふくに罹ってしまいました。そして、おたふくの菌は父の脳までも侵してしまったのです。今、父はいろいろな病院に通いながら不治の病と闘っています。そんな父を家族全員で支えながら、祖母は私たち子どもと家の事を母は家計の面で倹約しながら過ごしています。私はあしなが育英会に奨学金を借りたのがきっかけで夏休みのキャンプ「つどい」に参加し、同じような境遇の仲間や大学生と出会いました。最初は、早く就職して家計を助けたいと考えていました。しかし、仲間や先輩たちと語るうちに大学に行きたいと思うようになりました。特に憧れた先輩が教育大学に通っていて、その先輩の話を聴くうちに私も教育について学びたいと思うようになりました。それから大学に行くために勉強に力を入れています。ところが最近、大学に行くために勉強している自分は何なのだろうかと疑問に思っています。父は働けず、医療費もかかります。妹は今中学三年生で高校へ行くつもりです。正直、今の母の収入だけでは私は大学に行けそうもありません。それでも大学に行くという夢を捨てきれず、改めて理由を考えてみました。私が進学したい理由、それは苦労をかけた両親に親孝行をしたいという夢があるからです。進学をせずに、よい就職ができなければ早く就職しようと思っても、今の貧しい生活のままになってしまうと聞きます。両親を本当に楽にさせてあげるためには大学を出て、いい職に就いて貧しい生活から抜け出すことが第一歩なのではないでしょうか。私のような家族やそれ以上に貧しい家族がまだ日本にはいるはずです。一人でも多くの子どもが自分の夢を追いかけることのできる環境をどうか作ってください。これが私の願いです。
定時制高校4年生(首都圏在住)
僕は、首都圏の夜間定時制に通っている4年生の生徒です。今日は、こんなすごい場所で話す機会をくださりありがとうございます。高校生の貧困問題について、定時制高校生として感じていることを話してくれないかと言われ今この場所に立っていますが、私たち夜間定時制に通う生徒の家庭は、みんな大変だということです。 みんな自分の親に負担をかけないために、アルバイトをしていますし、お金のことにいつもあくせくしながら、なんとか高校生をやっているという感じです。お金が払えなくて修学旅行に行きたがらない生徒もいますし、まとまったお金が払えなくて、かえってお金がかかるコンビニのおにぎりを食べて、給食費をまかなえない人もいます。私たち夜間定時制の生徒の中には、身体が悪くて働けない母親に代わって、家計を支えている母子家庭の生徒もいます。生徒の多くが、母子家庭や父子家庭で親に小遣いをもらうことなどとても考えられない人ばっかりです。お母さんが朝早くから仕事に行き、ふたつみっつの仕事を掛け持ちして夜遅くまで働いている人も結構います。だから、親とほとんど顔を合わせることのない人もいます。
私たちは夜間の学校に通っていますから、昼間の時間が空いています。だから、その時間にアルバイトをするのが当たり前だと言われます。定時制高校は、働く人のための学校だとか、勤労学生のための学校だとか言われます。働くことはとてもいいことだと僕も思っています。働くことで僕自身も成長しているように感じます。ですけど、昼間の時間帯にアルバイトを探すのはとても大変です。学校に通えるという条件で探すとなかなかありませんし、あっても土日祝日の勤務は当たり前です。平日の昼間は、主婦の人が仕事を探していますから、アルバイトはむしろ夜の方が探しやすかったりします。夜の方が時給は高いですから、だから全日制に通う高校生の方がアルバイトはしやすいような気がします。アルバイトは禁止だと言われている全日制の方がたくさんアルバイトをし、勤労学生と言われている夜間定時制の学生の方があまり仕事がない。そんな気がします。だから、あまり簡単に夜間定時制は、働く生徒のための学校だなんて言って欲しくないと感じることがあります。それに何より僕たちはなぜ働かなければならないんだと思います。
実は、私の県には定時制生徒の交流の場として、「定時制生徒の交流会」というのがあります。わずかな学校しか参加していませんが、年に一度、県に私たちの要望を届けています。昨年度に提出した学費についての要望は、次のように書いています。「一昨年度から授業料が無償になりましたが、授業料以外にも高額の学費がかかります。定時制高校には、学びたいという意志がありながら、日々の生活を働きながら生きることに精一杯で、学業に専念できない、学ぶことすらできない人もたくさんいます。そのような現状では、学ぶ権利が平等にあるとは思えません。そもそも、定時制、通信制高校は、働きながら学ぶ高校生のためのものだという一面はありますが、だからといって、高校生が学費を工面するために働かざるをえないという現状はけっして正しい姿とは思えません。」そのように書いて、具体的に次の3点を要望しています。(1)学費削減のためにすべての生徒を対象に公費負担を増やしてください。(2)そもそも教科書を無償化すべきだと国に訴えてください。(3)給付型の奨学金制度を作ってください。この要望の中には、僕の学校の生徒会役員で議論したものも入っています。例えば、(1)については、最初、僕の学校の生徒会役員の前では、「お金に困っている人とか、家庭の所得の低い人に、特別な援助や補助をして、学費の負担を減らしてください」という要望が出されました。そうしたらある生徒が、「特定の人にだけ援助を行うようになると、援助をしてもらっている人は、学校にいる間ずっと自分は援助してもらっている、施しを受けているという気持ちを持ち続けないか」と言いだし、「そういうのって劣等感みたいなものにつながるよね」とか、「周りの人に負い目みたいなのを感じて生きていけってことだよね」とか、どんどん意見が出て、すべての人にお金もちも貧乏な人も区別せず、みんな負担を減らしてくれっていう要望にしようということになりました。
そうしたら顧問の先生が、「それが学ぶ権利ってことじゃないの。権利は援助してもらうことじゃないんだよ」と言い、そうだそうだということになりました。また、こんなこともありました。生徒のアンケートの中に、アルバイトの時給を上げてくれというのがありました。しかし、時給は県ではなく会社が決めるんだから、これを県に要望として伝えるのはおかしいんじゃないか、と最初はみんなが思っていました。それに、みんな日々の時給に満足だと言っていました。でも、みんなで議論していくうちに、最低賃金の法定労働時間いっぱい働いても、満足に生活できるお金にならないじゃないかということを考えていくうちに、時給を上げてくれてという要望は、親のためにも必要だと言うことになりました。こんな風に私たちも私たちなりに考えています。今、授業料が無償になっていますが、それに所得制限をつけようという話が出ていると聞いています。それは、たぶん高校生の願いに反することだと思います。先ほども言いましたが、学校に通うことを私たちの権利にして欲しいと思います。お金のことであくせくしながら学校に行くのはやっぱりどこか変だと思います。小中学校に授業料という言葉がないように、早く高校にも授業料という言葉がなくなり、教科書代という言葉も、実習費という言葉も、生徒会費という言葉もなくなっていく事を望みます。お金がないから学校に通えないという人がいなくなるように切に願っています。ご清聴ありがとうございました。
徳光涼子さん(社会的養護経験者・埼玉県在住)
私はアフターケア相談所ゆずりはという児童養護施設や里親家庭、自立援助ホームを就労や就学で退所した方の支援をさせていただく相談所で当事者スタッフとしてお手伝いさせていただいています。「ゆずりは」では、虐待・生活困窮・DV・精神疾患等、決して本人の責任だけではない理由で働くことや生きることが困難になった方からの相談を日々受けています。私は九州の児童養護施設で育ちました。私が生まれてまもなく両親は離婚しました。私は母にひきとられましたが、母はすぐに病気で亡くなりました。その後、父にひきとられ、私が施設に保護されるまでは、父と2人で簡易宿泊所を転々としながらの生活でした。時には公園で野宿することもありました。父との放浪生活の時、学校にはもちろん行っていませんでした。食事がまともに食べられない日も何日もありました。父と私を助けてくれる家族はなく、助けてくれる支援もありませんでした。父はどこに支援を求めていいのか知識もなく、自分たちが支援を受ける権利があることも知りませんでした。私も苦しかったけど、自分の子どもを野宿させなければならない父はもっと苦しかったと思います。その後、私は児童養護施設で暮らすことになりました。親を頼れない私が生きる場所は施設しかありませんでした。私には保育士になりたいという夢がありましたが、当時の児童養護施設から専門学校や大学へ入学することは夢のまた夢の話でした。現在も社会的養護の子どもたちの大学や専門学校への進学率は20%程度で、一般家庭の進学率の4分の1程度にとどまっています。高校卒業と同時にすぐに施設をでて自立生活が始まりました。施設を退所しても、もちろん親や家族を頼ることはできず資格もなく、学歴は高卒、仕事は選べる立場にありませんでした。雇ってくれる会社でなんとか働く日々でした。これは私だけに限ったことではなく、社会的養護のもとで暮らす子どもたちは皆同じ状況で今もなんとか生きています。施設を退所した子どもたちは、立ち止まって休憩することも、失敗することもできません。とにかく働き続けないと、たちまち家賃が払えなくなるからです。子どもたちは親や生まれ育つ家庭を選ぶことができません。生まれてくる家庭によって、ごはんが十分に食べられなかったり、学校に行けなかったり、暴力をふるわれたり、「お前なんか産むんじゃなかった」と言われたり、苦しい子ども時代を強いられている子どもたちがこの日本には何万人もいます。そして、子ども時代の苦しみを大人になっても背負って生きている人もいます。「子ども時代を安心安全に健やかに生きられること」こそが、人が心豊かに健全に生きていくためにどれほど必要なことかを、私は社会的養護の当事者として、支援者として、伝えます。私たちの社会はいつも、親がどうか、家族がどうかを厳しく問うていますが、個々の自己責任の追及の前に、子どもたちにとって、この社会が安全で安心できる・信頼できる場所となることを目指すことが先決だと思います。そのために「子どもの貧困対策法」が必要です。この国の全ての子どもたちが、この社会に生まれてよかった、こんなに自分を大切にしてくれる大人に出会えてよかったと思えることこそが、私たちが身を置く社会がもっと幸せに豊かに成熟していくことにも繋がると信じています。
山本千賀子さん(遺児の母親・北海道在住)
2人の子どもたちが幼稚園へ通い出したころ、主人の命に限りがあることを告げられました。これからのことをあれこれ考えていたら悲しさと不安でいっぱいでした。そばにいて病気に気づいてあげられなかった後悔から始まり、主人と必死に病気と闘いましたが、平成14年6月主人は力尽き一人旅立っていきました。主人も幼い頃父を亡くしていて、母子家庭で育ち、父のいない寂しさや色々な思いを抱えていたため、自分の子どもたちへも同じ思いをさせてしまうということを、子どもの成長を見届けることができないという悲しみ、お見舞いに来て下さった方々に「子どもたちのことを頼む」と訴えていました。主人が亡くなったと同時に収入が途絶えたにも関わらず、病院への支払い、家賃や光熱費の支払い、保険証の切り替え、年金の手続きで目まぐるしい毎日でした。住む所を探すにあたっては自分には仕事がなく、保証人はいない、仕事を探してもパートしかなく、正規雇用は書類さえ受け付けてもらえず、やっと見つけたのは歯科医院のパートで、有休はなく、健康保険もついていない状態でした。市営団地を応募していてもはずれ、アパートを探しているとき、大家さんに私の仕事のこと、夫がいないこと、幼い2人の男の子がいるという理由から断られたときには、世の中の無情に涙が止まりませんでした。先のことを考えたら不安で不安で、生きていけなかったので、今の現実を受け止め、今のことだけを考えプラス思考に発想を変えることに必死でした。当時、主人の死に向き合えることができず、子どもたちとも悲しみを共有できず、なんとなく悲しみにはふれず、避けてきていました。主人の話をしたり、主人のことを考えると、涙があふれ止まらなくなるので、子どもたちには心配させたくない。負担な思いをさせたくないと思いからでしたが、私の一方的な思いで、子どもたちとは気持ちがすれ違うこともたびたびありました。私は父親がいなくても、他の家の子どもたちと同じ立場で、同じこと、やりたいことは多少お金がかかっても我慢しないで、やらせてあげたいと思っていましたし、父親がいないという寂しさや、孤独を感じていたようです。母親ひとりにできることの限界を感じています。私は私なりに母親として、父親の分もできる限りのことはしてあげたいし、するつもりですが、それだけでは生きてはいけないのが現実です。幸い、2人の子どもたちは、あしなが育英会と出会い、大好きなバスケットボールを続けられていることにとても感謝しております。夢を諦めることなく、がんばっていってほしいと願っています。いろいろな環境に育った子どもが平等でありますように、よろしくお願いいたします。
■主催者要望
緑川冬樹・遺児と母親の全国大会実行委員長(神田外語大4年・あしなが育英会大学奨学生)
本日は、全国各地からこんなにも多くの方にお集まりいただきありがとうございます。私ども遺児と母親の全国大会では2009年より、子どもの貧困対策法の制定を訴えてまいりました。この背景には、2009年に発表された子どもの貧困率が15.7%と、OECD諸国に比べ異様に高い数字であるということが判明したのがきっかけです。あしなが育英会の奨学金を借りている母子家庭のお母さまの年収も、1998年に200万円を超えていたものが、2013年には113万円にまで落ち込むなど、このままこの子どもの貧困問題を放置していけば、どんどんと経済的な格差が広がっていってしまう、そういった危機感のもと、今日にいたるまでずっとこの子どもの貧困対策法の制定を訴えてまいりました。
子どもの貧困対策法には、まず貧困率の削減目標を法案もしくは大綱の中に記されることが第一条件です。貧困率を下げていこうという対策を行っていくことにより、たとえば、遺族年金の支給期間が、現在は高校卒業までとなっていますが、それが一番お金のかかる専門学校や大学に入った年もカバーされるよう20歳までであったり、あるいは学校に通っている間、ずっと支給されるようになったりと、遺族年金、児童扶養手当の支給期間の延長とか、あるいは、先ほど定時制高校の生徒さんがおっしゃっていたような要望がかなうかもしれない。その足がかりとなるのがこの「子どもの貧困対策法」です。また、この子どもの貧困対策法ができたあと、具体的にどういった政策を行なっていくのか、その中で、私たち当事者がさらに声を上げていかなければなりません。当事者が声を上げることができる会議などのメンバーにいれていただくことを私たちはこの子どもの貧困対策法の中にしっかりと明記をしていただくことを強く願っています。
子どもの貧困対策法がこの集会をきっかけに成立した後も、よりよい日本に向かって、社会的に弱い立場の子どもも他の子どもと何ら変わることのない生活が送れるようにしていただきたいと考えています。また、私も、日本学生支援機構から奨学金を借りておりますが、無利子の奨学金を借りることは非常に困難で枠が狭く、利子付きの奨学金しか借りられません。例えば無利子貸与の幅が広がっていくことによって、一人でも多くの子どもたちが大学や専門学校へ通うことができるようになればと、心から願っています。いままであしなが育英会の各種運動を通して遺児の支援に携わってきた私たちあしながの学生は、遺児のみならず多くの子どもに進学のチャンスをぜひ広げてほしいと考えております。
まずはこの子どもの貧困対策法ができること、これが日本の貧困家庭を救う一番の近道だと考えております。ぜひとも今国会での制定に向け私たちも努力を続けます。ぜひよろしくお願いいたします。
湯澤直美・立教大学教授(「なくそう!子どもの貧困」全国ネットワーク共同代表)
今日ここに集ったひとりひとりは、深い願いと確かな希望をもって、この時間をともにしています。そして、今、保護者の声、若者の声、さまざまな当事者のかたの声を共有しました。ここで語られたこのような厳しい現実は、どこかの誰かの、それぞれの家庭の問題なのではありません。今日お聞きしたお話は、日本社会がいかなる現状にあるのか、そのことを示す「社会の現実」であり、この時代についての証言なのです。そして、この「時代の証言」は、「もうこの国で子どもの貧困問題をこのまま放置しておいてはならない」という私たちの社会への警鐘そのものであります。
2009年になり、ようやく政府が相対的貧困率を公表するようになったことは、おそまきながらも大きな前進でありました。そして、そのことによって1985年当時にすでに10人に1人の子どもが貧困線未満の暮らしを余儀なくされていたことが明らかになりました。そして、その後の24年間で約5%も子どもの貧困率が悪化していることも示されています。それが日本の社会の現実です。経済が停滞しているから悪化した、という単純なことではありません。貧困は、所得の再分配をはじめ政策を機能させることで着実に削減させていくことができるのです。
では、何が必要か。子どもの貧困問題を解決していき、子どもの貧困率を削減していくための数値目標は重要です。法律のなかに、大綱のなかに、削減のための数値目標を明記する仕組みを必ず入れていただくことを切に願います。
子どもの貧困問題の解決は私たち大人社会の責務です。そのために必要なことはふたつあります。そのひとつは、戦後構築されてきた社会福祉・社会保障という財産をさらに充実させていくことです。私たちは、健康で文化的な暮らしを享受する権利を有しています。その権利を誰もが、そして、あらゆる子どもが享受できるために、社会福祉・社会保障を後退させてはならないのです。そして、そのうえにたって、2点目として、現代社会の新たな社会的リスクに対応する制度・政策を創り出していくことが必要です。政府の各省庁を横断する組織によって子どもの貧困問題に対応できるよう、政府および自治体の責務を子どもの貧困対策法に明記してください。その際、自治体についても努力義務でなく義務規定として明記していただきたいと思います。
国連では、子どもの貧困という問題の特殊さに鑑みて、子どもの貧困とは、子どもの権利条約に規定されているすべての権利の否定につながるものであると定義しています。それほど重要な問題だと認識されているのです。私たちは、今を生きる子ども・若者たちに、次世代を生きる子ども・若者たちに、子どもの権利という財産をたしかにバトンしていけるよう、私たちの意志を束ね、実効性のある子どもの貧困対策法を実現させてまいりましょう。そして、今日この日を、皆さんともに、公正な社会を実現させる新たな時代のスタートラインにできるよう、力を合わせてまいりましょう。
■来賓のご挨拶
山本ゆきさん(故山本孝史・参議院議員夫人、大阪府在住)
ご紹介いただきました山本ゆきです。今日は山本孝史も応援に駆け付けております。私は今思い起こしております。今日ご来賓で来てくださっている議員の先生方もご存じの方は思いだしてくださっているかもしれませんが、山本孝史が自らのがんを告白し、がん対策基本法を、自殺対策基本法の制定を訴えた、あの日のことを。
ちょうど今から7年前の5月、2006年5月22日のことでした。会期は6月16日まで。山本の訴えから25日間しかありませんでした。それでも山本は躊躇することなく、二つの法案の成立を訴えました。当時、がん対策基本法におきましては、自民・公明の与党案と野党案が、ゴールは同じでも、法案の中身において対立しておりました。それでも山本孝史の訴えを聞いてくださって、みなさんは心を一つにしてくださいました。
がん対策基本法は、国会最終日の6月16日に成立しましたし、自殺対策基本法はその前日の6月15日に成立いたしました。今この二つの法律はどうなっておりますでしょうか。非常に効力を発揮いたしております。そしてこの法律の下に、いろんな対策が進められて、いまがん対策も自殺対策も大きく前進しております。
そしていま、子どもの貧困対策です。子どもたちがどんな環境にあっても、未来に向けて、元気に生きていけるように、それを目指してくのが、この子どもの貧困対策法であります。どうか議員のみなさま、党派を超え、衆参の垣根を越え、あのときの7年前の国会を思い出し、どうか今国会で成立ができるよう、ご尽力をお願い申し上げます。どうか子ども達の未来を切り捨てないでください。どうか今国会で成立させてくださいますよう、山本孝史ともどもよろしくお願いいたします。
■各政党代表国会議員ご発言
自由民主党 薗浦健太郎・国会対策副委員長
子どもの貧困対策推進法の、自民党の中で責任者、あるいは窓口という役割をいただいております。
いまいろんな方のお話の中で、「夢」という言葉が非常に多く出てまいりました。人間だれしも、夢を持って、希望が将来見出だせなければ生きていけない、これは当たり前の話であります。子どもたちが当然持っていなければならないそういう夢や希望が、生まれた環境によって持つことができない、捨てさせられる、そういう国であってはならない、そう思っています。
われわれは、すでに法律案として策定をし、まとめあげ、党内手続きも先週終了し、早ければ来週中にも、この子どもの貧困対策推進法案を国会に提出したいと考えております。
基本理念で、子どもがその生まれた環境によって将来が左右されることのないように、と書かせていただきました。そして、政府は大綱を定めなければならないと定めました。この大綱の中に、何をやるのかということをきちんと書いていこうと思います。一つは教育支援、子どもたちの学ぶ権利を奪わないようにきちんと教育支援をやりなさい。そして二つ目には生活支援。保育、そして海外から高利貸しとも言われている奨学金、早く給与・給付型の奨学金を作るための措置。そして子どもの貧困というのは、多くの場合、世帯の貧困、家庭の貧困です。お父さん、もしくはお母さん、特にOECD最悪と言われているひとり親世帯の経済状態を改善するための就労支援、そして経済的な支援、これを大綱の中で盛り込むように定めております。
もちろん政府は、貧困率、進学率、そうした数値を調査をし、それが改善が見られない場合、きちんとこの法律を見直しなさいという見直し規定、数値の調査規定もこの中に盛り込んでおります。実効性のあるものをどうやって作っていくか、一つだけの数値ではないいろんな数値、いろんな人たちの状況に対応した対策を打つにはどうすれば良いのか、機能性はどうやって担保するのかという意味で、この法律を作らせていただきました。
緑川さんから特に話のあった、奨学金の話。多くの子どもたちが大学で学びたいと思っている。多くは22歳、23歳まで大学に通うことになります。あえてこの法律案から年齢規定を外しました。18歳以下でもありません。20歳以下でもありません。必要な子どもたちのための法律案です。
皆様方の想いが今国会で結実することができるように、私ども全力を尽くしてまいりたいと存じます。どうかご理解ご協力のほどを切にお願いを申しあげまして、自民党を代表してのあいさつに代えさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
公明党 高木美智代・政策調査会副会長
私は大学を卒業した年に、父を病気で亡くしました。妹は、受験のまっ最中、そして弟は中学一年、その中を私も頑張らせていただいてまいりました。先ほど来、多くの方のお話を聞かせていただきながら本当に胸がいっぱいでございます。
子どもの貧困対策法、早く制定してもらいたい。3年前にもご要望をいただきました。また、給付型の奨学金も早く作ってもらいたいともご要望いただきました。ここまで遅れましたことを、まずみなさまにお詫びを申し上げます。
法律につきましては、ただいま自民党の薗浦議員から、内容についてお話があった通りです。後は、自民・公明両党が、すでに14日の政策責任者会議で与党としての議員立法としての手続きを終わらせていただきました。一日も早い提出、そしてまたこれから、野党の方たちが提出されている法律との協議を、すすめてまいりたいと思っております。みなさまが、今国会で何としても成立をさせるのだ、きょうお集まりいただいた、そのお気持ちをしっかりと受け止めさせていただき、成立に向けまして、私どもも一致して結束して頑張ってまいりたいと思っております。
そしてもう一つ、ご要望いただきました給付型奨学金についてです。奨学金制度が始まって約70年になります。最初の、奨学金制度ができるとき、実は、給付型を考えていたということを知りました。しかし、さまざまな圧力があって貸与型、貸付型に変わってしまった、こういう歴史があり、それ以来給付型は実現しておりません。さまざまな政権で挑戦がされましたが、結局、実現をしておりません。この後、駆けつけてくださる予定とうかがっておりますが、下村文部科学大臣がなんとか、今、この給付型奨学金を成立させようではないか、そのように今、懸命に努力をしてくださっている、私たちも後押しをさせていただきながら、今このときに給付型奨学金、実現をさせたいと思っております。公明党はこのことをずっと主張しながら、何度も予算委員会、さまざまな委員会で取り上げ、戦ってまいりました。さきほども定時制高校生の方からお話がありました。家庭環境がどうあれ、経済的背景がどうあれ、そこで多くの人たちと、ともに学びそしてともに生活をしながら成長をしていく。その場に家庭の経済苦という、この陰を落としてはならない。子どもたちが、一生そういう負い目を持って生きていくような絶対そんな社会にしてはいけない。
そして高校の進学率、全体では98パーセントです。いわば、義務教育に等しいような、そういう状況になりました。高校で学びたい、その進学の意欲、そして夢を描いてさまざまな職業に就いていく、それが後押しされるべきだと考えています。私たちはこれからも、給付型奨学金の創設に向けて、全力で、頑張らせていただきます。
私たち公明党も一致結束をして、後押しをさせていただきます。どうかみなさま、夢を描いていただいて、その実現ができる社会をつくるために、お力を賜りたいと思います。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
民主党 山井和則・厚生労働部会座長
いよいよ子どもの貧困対策法、あと一歩というところまできました。きょう、多くのマスコミの方々もお越しになられておりますが、ここまで子どもの貧困対策法が盛り上がってきたのも、ひとえに今日お越しをいただいているあしなが育英会のみなさんを始めとする方々のお力だと思っております。
私は、民主党の厚生労働部門会議の代表であり、この法案の担当者をしております。そもそも、民主党が子どもの貧困対策法の検討を始めたのは、忘れもしない今から3年半前の12月8日でありました。その日は、何の日か。12月6日にあしながの遺児と母親の全国大会があったんですね。そのあしながの全国大会で子どもの貧困率を引き下げる、子ども貧困対策基本法を作ってほしいという要望を、あしながの皆さんがされました。その記事が12月7日の朝刊にでていたのです。その記事を見て、私たちはぜひともこの法案を作りたいということで実は3年半前からずっとあしながで働いておりました藤村修・衆議院議員を中心として検討を続けてきました。
しかしその後、震災があったりとさまざまなことがありましたが、今年になってこの法案が再び浮上してきたのは、あしなが出身であります下村博文・衆議院議員が文部科学大臣になられまして、下村大臣から「超党派でぜひこの国会で子どもの貧困対策法を成立させましょう」というお話がありました。国会というところはケンカばっかりしているところではありますけれども、この子どもの貧困対策法だけは、今日もこうやって全ての政党がまいっているわけですから何が何でも成立をさせていきたい。そしてやはり、「成立したけれど振り返ってみればあんまり何にも変わらなかったね」ということでは大変なことになってしまいます。
さきほど、山本ゆきさんのお話がありました。今でも覚えておりますが、7年前の5月、ご病気で苦しい思いをされていた山本孝史先生が私の部屋にやってこられました。当時、今と同じ厚生労働の責任者をしておりましたから、「山本孝史の遺言だと思って、このがん対策基本法を何としてもこの国会で通してくれ」ということをおっしゃいました。山本先生は私の尊敬している大先輩ですから「いや、先輩そんなことおっしゃらないでください。これからもずっと長生きして頑張ってください」と申し上げました。そして、そのがん対策基本法の大綱の中で10年間で20%、ガンによる75歳以下の死亡者を減らすという数値目標が入りました。あれから、6年経ちましたが、しっかりその数値目標通り、ガンによる死亡者はなくなっております。そしてもう一つ、山本先生がつくられた自殺対策基本法。これによって着実に自殺者は減ってきておりまして、昨年は15年ぶりに3万人を大きく切って、2万7766人にまで減りました。
法律というのは魂を込めて作れば、結果は出るんです。困っている人を救う力があるんです。しかし、そのためには魂を法案に込めていかねばなりません。これから今国会末まで、政治家の力でだけでは足りませんので、今日お越しのみなさん、お力をお貸しいただいて、私たちここに並んでいる国会議員がしっかりと魂のある実効性のあるこの法律を制定できるように応援をしていただきたいと思っております。何よりもあしながの1期生である下村大臣のおられる今。今が最大のチャンスであります。子どもの貧困をなくす法律を皆さんと一緒につくってまいりたいと思います。
日本維新の会 河野正美・衆議院議員
本日こうしてここに行動をされている、みなさま方に、まずもって敬意を表したいと思います。そして我が党の本来の担当者が、きょうはどうしてもということで欠席させていただいております。代理でのご挨拶なることをお詫びいたしたいと思います。
私はもともと精神科の医師をしておりまして、非常に厳しい現実というものを患者さんを通じて感じておりました。我が党といたしましても、日本再生・未来への責任ということで、未来を背負っていくお子さんたちにしっかりとした明るい未来を、そしてしっかりとした教育が受けれるように応援して行かなければいけない。そういう日本にして行かなければいけないということで活動しております。われわれ、是々非々ということで、あるときは自民党案にもつき、あるときは民主党を始め野党案にもつくということで、わかりにくいと思われることもあるかもしれませんが、今回しっかりと議論に加わらせていただき必ずやこの法案が成立するようにご協力することをお約束いたします。しっかりと我が党も協力をさせていただくということを示すために私が代理でやってまいりました。必ずやこの法案成立していくために、ご協力するということを約束いたしまして我が党からそして私のごあいさつとさせていただきます。
みんなの党 川田龍平・政策調査会副会長
子どもの貧困対策基本法、しっかり数値目標を盛り込んだ民主党案に、みんなの党は共同提案にものるという形でぜひこの法律制定のために全力を尽くしていきたいと思っております。
私は、昨年6月21日に超党派で議員立法であります「子ども被災者支援法」をつくりました。原子力発電所事故から、子どもたち、特に妊婦の体の中にいる胎児やこれから生まれてくる子ども達が放射線の影響を一番受けやすいと言われています。この法律は、この放射性物質や、放射線の影響から子ども達を守るために作った法律です。この法律もみんなの党が提案して、全党、全官僚の賛同をえて法律としてつくることができました。
私も尊敬する山本孝史議員は、私が薬害エイズの裁判で戦っている時も薬害エイズの問題に尽力をしてくださって、そして私も議員になったときに山本孝史議員とともに、このいのちを守る政治をやっていこうということで対談もさせていただきました。そういう意味でも議員立法を通してこの国の社会の仕組みを良くしていきたいと無所属で国会議員になったのですが、無所属で活動していくことが非常に難しいと思いみんなの党に入党したのが2009年のことでした。議員立法というのは官僚からすると議員が作った法律ということで作った後も国会議員が力を入れていかなければ放っておかれてしまうということがあります。実はこの子ども被災者支援法も法律制定から1年が経とうとしていますが、未だに基本方針が作られずに政府がこの法律を活かしていないということが今も進んでいます。そういう意味では、この法律をなんとかして機能させていきたいそういう思いで超党派の議員連盟も作りました。実は、がん対策基本法も自殺対策基本法もそうした超党派の議員の集まりが一生懸命、法律制定後もこの法律を活かすために様々な取り組みを、政府を後押しする形で進めてまいりました。
そう言った意味では、法律に魂を入れて、法律を作った後も国会議員が議員立法を責任をもってしっかりと政府に機能させるために仕事をさせていくということを引き続き受け継いでいかなければ、なかなか法律というのは活かされていかないということを私は常々、国会議員の仕事をしているなかで感じています。
私は、この法律を何としても超党派で賛同を得て、ぜひこの数値目標をいれた形で法律を作っていきたいと思っております。それには、与党を動かしていかなければならないと思います。先ほどからもお話にあります下村大臣が大臣でいるときにこれは進めていく必要があります。今が本当に最大のチャンスだと思います。ぜひみなさん一人ひとりの声が政治家を動かし、国会を動かし、そして政府を動かしていくことにつながっていきます。薬害エイズのときもそうでした。
子どもの貧困の問題、妻は『貧困大国アメリカ』という本の中で書いております。アメリカでは大学に進学しても就職がなくて大学進学した結果、借金を背負って借金が返せなくて、ホームレスになるっていう現状もあります。アメリカのような国には日本はしたくありませんし、これからの日本をより良くしていくために超党派で全力で頑張っていきたいと思います。
日本共産党 田村智子・厚生労働委員
春休みのときでしたでしょうか。議員会館に集まっていただいて各党に子ども貧困対策法をつくってほしいという集会を行っていただいた。それがもう国会の中から飛び出して、より多くの市民のみなさんにアピールする形で大胆にこういう集会が開かれた。みなさんのパワーをひしひしと感じているところです。
本当にこの法律が大切だ、ぜひ超党派で今国会での成立に向けて頑張っていきたいと思います。
子どもの貧困は自己責任ではないんだということを法律によって宣言する。これはものすごいことだなと思うんですね。子どもに自己責任を求めるようなことはあってはならない。国や自治体が先頭を切って、計画を立てて目標をもって貧困の対策に乗り出していくんだ。先ほどのお話にもありましたように魂のある法律として、実効力が発揮できるようにいい法律になるようにみなさんとも議員とも対話を重ね、今国会でも成立に私も力を尽くしていきたいと思っております。
子どもの貧困対策法を根拠にして、食べること、住むこと、着ることそして教育を受ける権利、就職、いろんな問題で経済的な理由での差別があってはならないと、全力で頑張っていきたいと思います。私も野党の立場ですからときどき、与党ともバシバシと意見を戦わせるのですがそういう厳しい質問をやったあとでも、党派の違う議員さんから声を掛けられます。子どもの問題は超党派だよね。子どもの問題は一緒にやっていきたいよね。一緒にやっていきたい。そういう思いで超党派頑張っていきたいと思います。
生活の党 小宮山泰子・国会対策委員長
いまさまざまな体験を、そして現実をお聞かせいただきました。ここに来るまで本当にさまざまな思いやご苦労されている方がいらっしゃるということ、切実に実感をいたします。こうやって多くの方が通るこの場で、緑川実行委員長をはじめこのような集会を開催されたことに、心からまずもって敬意を表したいと思います。こうやって子どもの貧困をなくしていこうという超党派で集まり、多くの国民の方々と思いを分かち合うこの場を作っていただいたことに心から感謝を申し上げます。
この法律制定を実現するために私たちはいまここにいるのだと思っています。親の環境がどうであれ一人ひとりの能力を活かす、学ぶことをあきらめてはいけない、その環境を守るためなのだといって親から育てられました。あれから40年ほどたちます。貧困率がこんなにもののあふれた日本で高い、これはどこか間違っているのだと思います。これを正すためにも本当にいまご苦労されているみなさまの声が国会を動かし、そして日本を動かし、将来に向け貧困を無くすことで日本が強くなる。その礎がいま動き出していると思います。
私も当時は山井先生と同じ政党でございましたので、山本孝史先生の本当に熱い思いを、いのちを守る政治、あの言葉に本当に動かされました。私自身もあのときにがん対策基本法、これで本当にどこまで動くかな、正直思ったことがあります。いま私の地元、埼玉でも、リレーフォーライフというがん対策がんのことをサバイバーの方たちとともに訴える活動が広がっています。きょうのこの集会がきっかけで、そして、この子どもの貧困撲滅の、この対策法案が通ることで、多くの方がこの現実とともに、そしてこれを直すために立ち上がることを心から希望します。そしてそのために私ども、しっかりと歩んでいくことを生活の党を代表し、しっかりとみなさまの声を受け止めさせていただきます。みなさん、夢に向かい歩いてまいりましょう。
社会民主党 福島みずほ・党首
3月の院内集会でお目にかかっている方たちも多いですが、きょうは緑の中でこのパワーで、今国会何としても子どもの貧困対策法をつくる。こんな素敵なしかし根性の入った集会を開いてくださった皆さんに心から敬意を表します。
党を代表して子どもの貧困対策法、今国会なんとしても成立させるぞ、その決意を表明させていただきます。たくさんのケースを見てきました。もちろん今日も切々としたお話がありました。親の財布の大きさが子どもの未来を決める。そんなことでいいのか、母子家庭でシングルマザーの家庭で修学旅行に行けなかったお子さんが私の事務所のインターンをしてくれたこともあります。母子家庭の人たち、児童扶養手当も入れても百数十万円しか収入がありません。子どもたちが自分の家庭の収入の事情でたくさんのことを諦めなければならない。このことを改善したいと思っております。私も男女共同参画担当大臣をしたときに女性の貧困の対策を掲げました。また湯澤先生はじめ多くのみなさんたちと議論し、子ども若者ヴィジョン、子ども子育てヴィジョンの中に子どもの貧困の問題を中に入れました。でも子どもの貧困対策法はその時点で成立させることはできませんでした。
子どもの貧困の問題がこの社会の重要なテーマで子どもの貧困なくしていくんだ、それが政治の課題だ、そのことを宣言する意味でこの法律を成立させる意義は大変大きいと思います。
子どもの貧困対策法を作ることでたくさんの政策が変わる。山本孝史さんの演説を参議院本会議で聞きました。自殺とがん対策の法律ができて、私も自殺対策担当大臣のときに子ども自殺防止月間にチラシを配りました。パープルホットライン、寄り添いホットライン、24時間ホットラインも広がり変わりました。法律ができてそしてそのためのヴィジョン、大綱ができて具体的な政策が変わります。
社民党も今国会で超党派で民主党共同提案で、そして与党ともきちっと擦り合わせをして子どもの貧困対策法を成立させるべく全力で頑張ります。今国会下村大臣がいらっしゃるときに超党派でそしてなんとしても成立させるべく力を合わせて行きましょう。子どもたちの未来のために一緒に頑張る決意を申し上げ私の心からの決意といたします。
■主催者挨拶・文部科学大臣ご発言
玉井義臣・あしなが育英会会長
私は、遺児支援のあしなが運動を始めて今年で50年になりました。母親が交通事故で亡くなったとき、評論活動で法律を変えました。刑法の211条、事故を起こした人に懲役刑がなかったんですよ。そのとき、人を殺しても禁固刑だったんです。それは東京都に16台しか車がないときに作った法律だったんです。それを懲役刑を加えることに、法務省と一緒に変えました。もうひとつ、そのとき交通事故死者は一人30万円のいのちの値段だったんです。10年がかりで、こういう大会をしながら評論活動もして、自賠責保険を3000万円にまでしました。100倍にしました。
あしなが運動から3人の政治家が出ました。山本孝史くんは、ゆきさんと一緒に大きな法律を二つ作りましたね。ゆきさんのおっしゃったように実効力が出ています。3万人ずつ毎年自殺者が出ていたのが、3万人を割った。法律というのはすごいですね。藤村修・前官房長官は、彼が大学2年生のときにこの運動に引っぱりこんで、その後政治家になりました。大きな仕事をしてくれましたね。
そして、下村博文・文部科学大臣。私どもが高校奨学生の第一期生として採用しました。彼が学生時代、ずいぶん彼ともケンカしましたが、ケンカをするたびに彼も成長していき、私たちが想像もつかないような大きな器になってきました。今回、法律をつくるキーパーソンになっていると山井先生がおっしゃっている。私は、9万人の遺児を育てたとか900億円の募金を集めたとかいうようなことより、法律をつくる、変えるということが一番大事だと思っています。子どもの貧困対策法は、今後ずっと子どもたちを貧困から救ってくれることですから、やっぱり下村大臣に頑張ってもらって、超党派・挙党一致でこの法律を実効のある法律にしていただきたいと思います。
下村博文・文部科学大臣
きょうは今国会で、子どもの貧困対策法の成立をさせたいというみなさんの思いに応えていただいて、全ての政党から有力な代表の方々がお越しいただいていることを本当に私のほうからも感謝申し上げたいと思います。ありがとうございます。
なかなか今国会で成立は難しいのではないかというのがスタートのころでありましたけれども、本当に各党が力を入れて今国会でということで今思いを込めてお集まりいただいているわけであります。しかしなかなかまだ一本化までには行っていない部分がございますので、ぜひ、今国会で成立させるということを前提でそれぞれ歩みよっていただきながら、ご支援ご協力をお願い申し上げたいと思います。
法律には、議員立法というのとそれから内閣から出す内閣法というのがございますけれども、今回は議員立法でございますので各政党から出ていることに対して内閣が協力をぜひさせていただくということで、我々の方は裏方に徹するわけです。ぜひ議員立法で成立をさせていただければ、これは責任を持って内閣が対応することによって、少なくとも日本において貧困によって高校や大学に行けないと、そういう子どもたちをなくしていくというのがこの法律の眼目であるというふうに思いますし、成立に向け、できることは全力でサポートさせていただきたいと思いますし、また成立のあかつきにはしっかりと取り組むことをお約束申し上げたいと思います。
あしなが育英会の玉井会長からご紹介がありましたが、私は小学校3年生の時に父が交通事故で亡くなりました。当時、母が32歳で私は9歳、下の弟が5歳と1歳であったということで、本当にその日から極貧のような生活でした。当時は保険もありませんでしたし、また32歳の女性、今から考えると若かったなぁと思えますが、事故前は専業主婦で働いていたわけではありませんでしたから、その後は朝から晩まで働いて、働いて私たち子どものためにですね。一生懸命に頑張ってくれた母親であります。
しかし私が高校に入るとき、やはり母親の手伝いをしなければいけないから、高校は定時制くらいしか行けないと思っていたんですけれども、たまたまそのときにあしなが育英会の前身ともいえる交通遺児育英会ができるということになりました。交通遺児育英会の奨学金と当時は日本育英会これは特別奨学金と言う給付型の奨学金もあったんですね、一つの奨学金では行けない、それぐらい私も貧乏でしたけれども、しかし二つの奨学金を借りたりあるいは給付を受ければ、なんとか高校に進学することができると高校・大学と進学できたという経緯がございます。そのときには給付型奨学金が当時の日本育英会、今の学生支援機構にありましたが、残念ながらいまはなくなっています。
しかし一方で当時に比べて、子どもの貧困率というのは残念ながら我が国においてはどんどんどんどん増えている。OECD先進諸国の中でも子どもの貧困率は大変に高いという中で、貧困が貧困を産むという負の連鎖がこの国に広がっている。チャンス、可能性、意欲や志があっても学校に進学することができない、貧困によって進学を断念するということが起きているということは、その子どもにとっても大変な未来を閉ざすことになるわけですけれども、日本全体にとってもチャンスと可能性を閉ざす。それはまさに日本の将来の活性化にもならないわけでありまして、そういう意味で子どもの貧困対策法は大変に重要なことであると思います。
ぜひ私が大臣でいるうちにできたら、来年くらいからまず高校の給付型奨学金を復活させたいということで今、省内で議論をしているところであります。我が国は他の先進国に比べて、公的教育支援が少ない国でありますので、ぜひ大学まで含めて、どんな人でも意欲と志があればお金を心配しないで大学や大学院にまで行こうと思えば行けるという、そして30代、40代になってももう一度社会のなかで自分のスキル、能力を磨いて、そして再チャレンジができるような、社会人の学び直しもできるような環境づくりをする。そのことによって日本に生まれたすべての人が、本当に日本に生まれてよかったなぁと。日本は世界で一番、一人ひとりのチャンス、可能性が保障されている国であると。それが開かれる国だ、と。それがまさに教育であるというふうに思いますけれども、その教育によって一人一人の応援が出来るようなそういう国をあしながの第一期生として作っていく、その先頭に立つのが私の恩返しでもあるのではないかと思います。
今日、各党の政党の代表の方々と力を合わせて、これから我が国における子どもの貧困撲滅にむけて、そしてすべての子どもたちにチャンス・可能性が広がっていくような国づくりに、今日のこの集会はきっかけになるのではないかと思います。関係者のみなさまがたに本当に深い感謝を申し上げ、そしてあとは我々が、国会の中でそれをしっかりと受け止める。そして成立後は、政府がしっかりと受け止めて、具現化するということが、もうすぐそういう時期にくるということをお約束を申し上げ、そして決意を申し上げます。みなさんに対する感謝とそしてみなさまとともにこの日本を素晴らしい国にするように頑張ると、決意といたします。頑張りましょう! ありがとうございます。
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【発 行】
あしなが育英会・「なくそう!子どもの貧困」全国ネットワーク
【発行日】
2013年5月27日
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